来たる12月12日(土)、中川邦彦教授退官に伴い、東京造形大学校舎内教室にて同教授の最終講義『中川邦彦最後の授業“映画の物語組織化”』が行われます。
長年専任教授として務めておられた中川邦彦教授にとって、本講演が東京造形大学での最終講義となります。
講義はアンリ=ジョルジュ・クルーゾ監督「悪魔のような女」を主体にこれまでの教授の研究発表を行なう予定になっております。
講義に来られた方には中川教授のご意向により、退職記念に出版される『散文 〜映画の授業〜』を無料でお配りします。
師走で忙しい時期だとは思いますが、多くの卒業生,在校生の参加をお待ちしております。
日時:12月12日(土)15:00〜17:00頃まで
場所:東京造形大学4号館4-D教室
入場無料(予約不要)
お問合せ:eiga.and@gmail.com
備考:講演後、軽食パーティーがあります。
【講義概要】
「ディアボリック」*1 という同じ表題を持つ3つの作品 は異なった物語世界を描いた。また、それらは互いに原作、映画化、リメークという関係を指摘されることに見られるように同じ物語の筋を持つ。この二つの事実(「異なる」と「同じ」と)はわたしの日常の経験から知りえる。しかし経験を離れてそれぞれの関係について何を言いえるのか?ここに2つの映画作品を取り上げて形式を論じる狙いがある。「映画の物語組織化について」アプローチしてみる。
*1 フランス語diaboliqueはdiable(悪魔)の形容詞である。以下の3作の邦題はともに「悪魔のような女」である。しかし天使と同じく悪魔には性がないから「女」とされたのは、原作小説のタイトルがCELLE QUI N’EAIT PLUS(なくなったもの)の女性形からとられたと考えられる。しかし原作では紛失してなくなった「死体」が女性だが、映画ではどちらも男性である。
小説はボアローとナルスジャックによるもの(Eds.Denoel、1952年。ハヤカワ・ミステリー文庫#3899、早川文庫、1996年)。
映画1はアンリ=ジョルジュ・クルーゾ監督、1955年。原題はLes Diaboliquesと複数形。悪魔のような者は妻殺害を謀る夫と共犯者の愛人を指すと考えられる。
映画2はジェレミア・S・シェシック監督、1996年。原題はDiaboliqueと形容詞。悪魔のような者は妻殺害を謀る夫を指すと考えられる。
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