東京造形大学は2008年4月からの新学長に映画監督であり、本学教授の諏訪敦彦さんを選出しました。
諏訪さんは本学卒業生(1985年デザイン学科映像専攻卒業:16期生)であり、卒業生(校友会員)初の学長となります。学長就任に先立ち、校友会常務理事地主広明が単独インタビューを行いました。
ーーまずは、ご就任、おめでとうございます。
ありがとうございます。
ーー本日は、校友会から、あらためて色々とお話しをお聞かせ願います。
では、まずは、卒業生(校友会会員)としてから初の学長となったわけですが、あらためて、何故、今回学長選にお立ちになったあたりからお話しをお伺いたいのですが。
私の着任は2002年です。それまでは現場の人間でしたし、大学教育に初めてかかわるということで、この6年間はとにかくどのように映画を教育していったら良いか、自分なりに手探りしながら必死にやってきたという感じでした。ですから、わたしはこれまで自分が学長になるというようなことを、ほんの一瞬たりとも考えたことはありませんでした。何人かの先生方に、今回の学長選に出てほしいと要請を受けた時、あまりに唐突に私の前に学長という言葉が現れたので、驚きを越えて思わず笑ってしまいました。しかし、その時いろいろな先生方のお話を聞いていて、東京造形大学のこれからを真剣に考え、理想へ向かって生まれ変わろうとするエネルギーというものを感じました。もし私にも何かできることがあるとすれば、自分も力を尽くすべきだと感じたのです。学長というのは重責ですが、尻込みしていたのでは何もはじまらないと思い切りました。私一人の力で何かができるとは思っていません。私は、卒業生のみなさんも含め、本学にかかわる人たちみなの力を引き出してゆくのが仕事と考えています。
ーー実は、8年前、前学長の白澤先生への校友会会報誌のインタビュー記事の中で、白澤先生から、自分の役割は校友会から学長が出るまでの橋渡しだという話しがあり、印象に残っていたのですが、現実のものとなりました。
つまり、そろそろ本学卒業生の学長が希求されていたとも言えるわけですが、そのような中で、今現在のお気持ちをお聞かせ下さい。
そうですか、前学長がそんなことを仰っていたとは知りませんでした。私自身はいろんな人が学長をやればよいと思いますし、卒業生ということをそれほど意識しませんでしたが、本学も創立から40年を過ぎて、歴史的にひとつの章を終え、これから第2章に向かって新たな展開を迎える時期なのかも知れません。私は79年の入学です。当時の本学の印象はとにかく若々しかった。小さな、若い大学という感じがありました。先生も若く、規模が小さいので学生と一緒になってワイワイやっている感じでしたね。やっている内容も先端的で、ある意味反抗的。大学自体が青年期で、「新しい教育をしよう」という勢いがあったように思います。他の大学でやっていることが、ずいぶん古くさく感じました。85年に卒業し、ずっとテレビや映画の制作現場に身を置いていましたが、本学で受けた独特の教育というのが誇りでしたし、私の仕事を支えてくれていたと感じます。20年近くたって、久しぶりに大学に帰ってきた時、『東京造形大学もずいぶん大きく、大人になったな』という印象を抱きました。それは、“大人しくなった”ともいえなくはない。きちんとした大人になることは大切ですね、しかし、東京造形大学は今どんな大人になったのか?これから何をしようとしているのか?ただ、若い、勢いのある年代は過ぎ、これから本当の意味で東京造形大がどこに向かってゆくのかを明確にしていかなければならないのだと思います。
ーー本学の卒業生としての強みというか、逆に弱みもあるでしょうが、そのような、特に強みですね、卒業生の強みとして学長職に何か期待できるものはあるでしょうか。あるいは、ウィーク・ポイントがあると思われれば(笑)お聞かせ下さい。
やはり母校ですから、愛情があるのですね。それがなければ、今回の学長選に立つという決断もなかったと思います。それから、自分が本学の教育を体験していて、その特徴を学生の立場で実感しているということも生かしてゆけると思います。
弱みも、愛情ですかね?思い入れがあるので、客観的になれない面もあるかもしれません。映画監督になってからは、慶応や早稲田で講演をする機会などありましたが、本学以外の大学教育の現場を経験していないという面もあります。これから勉強しなければなりません。
ーー今、諏訪先生は、映画監督として世界でご活躍ですが、その映画の世界に加え、今回、学長という大学の行政職のトップに就いたわけですが、映画監督としてのキャリアが、学長職に反映されるのか興味を覚えるところですが、その辺りで何かお話しはありますでしょうか。
映画監督というと、メガホン片手にどかんと椅子に座って、すべてを一人で決断する、という強いリーダーのイメージですが、私の撮影現場というのはとっても奇妙なんですよ。どこに監督がいるのか分からないような感じがある。私の映画には完成された台本というのがありません。私は監督として映画の主題や、設定を与えますが、後はみんなで考えてくれ、という態度で制作に臨みます。俳優は自分の行動や台詞を自ら決定してゆく、スタッフも私の指示で動くのではなく、創造的に制作に関与してきます。みなが意見を出し合って、進んでゆく。一人の人間の想像力なんて限界があります。ある特別な能力を持った作者が思い描いたイメージを再現してゆく(実は多くの映画がそのように作られていますが)という作業が豊かなものだとは思えません。映画の面白さはさまざまな人間が関与しているということです。その時、強い号令の元に、行動するのは簡単ですが、そのような関係ではみなはただ指示を待つだけで、何も考える必要がない。みなできちんと考える、議論するそういうプロセスが私にとっては重要です。結果、生み出された作品が独創的なものとしてある評価を受けることができました。そんな創造的な関係の中で、本学に関わるみなさんの能力を最大限に引き出してゆく環境を作ることが、まず私にできる仕事なのではないかと思います。
ーー映画のお話しも少しお伺いしたいのですが、今現在進行中のプロジェクトは何でしょうか。差し支えなかったらお聞かせ下さい。
現在、フランスの国立映画センターや放送局の支援を得て、フランスを舞台にした映画を準備しています。両親の離婚に反対して家出をする女の子の物語です。今年8月の撮影を目指して、現在フランスでキャスティングを進めています。予算規模もこれまでで一番大きいプロジェクトですが、私が学長に就任したということで、フランスのプロダクションは青ざめています(笑)。ただ、今回は私の希望で、もう一人フランスの俳優が共同監督として参加していて、私が日本にいる間は彼が頑張って作業してくれています。これから学長の業務を最優先しなければなりませんが、制作や研究を発表することを通して、本学の教育を発信してゆくことも私の大切な仕事と考えていますので、積極的に外に出て発言してゆきたいと思っています。
ーーそういえば、以前Newsweek誌で「世界が尊敬する日本人100人」に諏訪先生の名前も入られていましたね。
大げさなタイトルの特集でしたが、確か映画監督は宮崎駿さんと私で、新聞の記事では『宮崎駿ほか一名』となっていました(笑)。海外の評価と国内の評価にはズレがあって、どちらが正しいというわけではありませんが、日本は近隣のアジア諸国やヨーロッパに比べ人口が多く、国内のマーケットだけで表現が成立してしまう傾向があるように感じます。そのために表現者が外に出てゆく必要がない。韓国の映画人たちは、常に外に出てゆくことを考えています。実は、その気になれば外に出てゆくことはそれほど大変なことではありません。映画の学生たちには「映画より英語」と言っているのですが、これからの学生たちには、積極的に世界とかかわってほしいと思います。
ーー最後に、新学長として、在学生や、卒業生へのメッセージを是非、お伺いしたいのですが。
大学は厳しい時代を迎えています。少子化や教育改革など対応が迫られる問題を抱えていますが、単に時代の流れに呑み込まれないで、本学の独創的な教育というものを作り上げていきたいと思っています。私は大学を作るのは人だと考えています。教員が勇気を持ってユニークな教育を実践していただきたいとおもいますし、それが可能になる環境を作りたい。また学生のみなさんにも、大学は“すでにそこにある”のではなく自分たちが作ってゆくのだという意識を持ってもらいたいと思っています。また、卒業生のみなさんにも是非本学の教育に関心を持っていただきたいと思います。大学の教育は広く地域社会とのかかわりの中で展開されてゆく必要があります。今後さまざまな形で卒業生の方々にもご協力をお願いしたいと思っています。本学はどちらかといえば小規模な大学で、互いの顔が見え、人間的なつながりが強いことがひとつの財産でもありますから、そのネットワークを強化してより良い大学づくりに生かしてゆきたいと思います。微力ながら、卒業生の学長として母校のために力を尽くしたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
ーー本日はありがとうございました。
文責:地主廣明(校友会常務理事)
諏訪敦彦(すわ のぶひろ)
1960年 広島県出身
1985年 東京造形大学デザイン学科映像専攻卒業:16期生
2002年 東京造形大学着任
東京造形大学在学中にインディペンデント映画の制作にかかわる。卒業後、助監督やテレビドキュメンタリーの演出を経て、96年に長編劇映画「2/デュオ」を監督。99年「M/OTHER」(カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞)。01年「H/Story」(カンヌ国際映画祭正式招待)を発表。02年、韓国全州映画祭のオムニバス作品「After War」(ロカルノ映画祭ビデオグランプリ受賞)に参加。06年パリを舞台にしたオムニバス映画「パリ・ジュテーム」に参加。
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