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宮崎勇次郎 32期 美術学科 美術専攻I類
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東京造形大学での出会い

 当時の東京造形大学美術専攻I類(絵画専攻領域)は、先生も含め抽象表現全盛期で描写タイプの具象画は皆無でした。「具象画を描きたいのなら造形大学ではないよね。」と言われる始末。それでも自分は形あるモノを描くことで表現したいと思い、オリジナリティってなんだ?自分しか出来ない表現って?と毎日試行錯誤しながら描いていました。それと同時に「記憶ノート」というものを書いていて、好きな作家、身近な絵など美術に関する事や日常の何気ない事の記憶を辿り書き記しました。火の無いところに煙は立たない。では無いですが、自己の記憶や経験からしか作品は生まれない。と考えたからです。


 自分にとって絵という存在を生まれて初めて意識させてくれたのは、青い空に富士山と日本三景が描かれた実家の銭湯のペンキ絵でした。記憶ノートで実家の銭湯の事を書いて以降ペンキ絵を強く意識した絵を描くようになり、小さいサイズのキャンバスから始め、大きいサイズの絵を数枚か描いていく中で実家の銭湯に描きたいと思うようになりました。
 銭湯に描くにあたり東京の銭湯絵師に手ほどきを受けたいと思い、調べるうち「風呂屋の富士山」という一冊の本と出会いました。その本の著者は教養科目で教鞭をとっていた大竹誠先生でした。私はすぐに大竹先生の個人研究室に赴き銭湯の富士山の事や絵師について伺い、銭湯絵師の早川利光さんを紹介して頂きました。


銭湯絵師 早川利光

 初めて早川さんにお会いした時に頂いた名刺には大きく「背景絵師」と書かれていました。その時、銭湯のペンキ絵師の事を背景絵師と呼ぶ事を知りました。早川さんは職人気質な方で「俺は何も教えない!目で見て覚えろ。」という感じでした。自分は目で覚え、写真を撮り、足場の作り方や扱うペンキの種類、道具、銭湯で描いてはいけないモノなどノートに書きました。5軒くらい手伝い空も塗らせて頂くようになりました。そのメモと目で記憶した早川さんの筆さばきを元に大学でパネルにペンキで背景画を描き、大分県にある実家の銭湯「下郡温泉」で初めての個展を開催しました。その時の写真を手に早川さんに会いに行き、描いた背景画を喜んでくれている顔が今でも忘れられません。早川さんは2009年に亡くなり、私の名刺の肩書きには原点を忘れないように「背景絵師」と記しています。


株式会社アリカと作家活動

 大学卒業後、ゲーム開発会社に就職をしました。銭湯の絵師になりたい。と思い早川さんに弟子のお願いをしましたが「これから銭湯はどんどん無くなる、立て替えたり背景画もそのうち無くなるから弟子はとらないよ。宮崎くんは背景画を描けるから他の世界で技術を学びなさい。」という早川さんの助言から、描く技術を活かし、最先端だった3Dの技術も学べる事からゲーム会社を選びました。主にゲームの背景を作成する業務でスクロール担当でした。募集要項に書かれていた「背景」という字面にも銭湯の「背景絵師」との共通点を感じ惹かれたのかもしれません。  大学ではパソコンを一切触っていなかったので、入社し技術を覚えるのは大変でした。ゲームプランナーと話し合いを重ね、ゲームの世界観や対象にする世代、他のゲームとの差別化などの意見を出し合い作成する。出来上がった素材はプログラマーに渡し、光や雲、水や炎などのエフェクト、動物や人の動きなどをつけてもらいチーム一丸となって完成を目指す。これらのやりとりは、これまで個人の考えを表現し制作をしていた自分にとってとても新鮮でした。それぞれの意見、幾重にも重なり合うイメージを一つにまとめ上げる事は、それ以降の自分自身の制作にも多くの影響を与えたと思います。また長時間のパソコン作業の反動から筆で直接キャンバスに描く事に今まで以上に魅力を感じていました。
 ただ制作する時間を確保する事はとても難しく、朝4時頃起き会社に出勤するまでのわずかな時間で制作していました。もともと朝強い方ですが、仕事でパソコンの画面を一日中見ていたので終業後は目に疲れがたまり、描けなかった事もあります。朝リフレッシュした目で自己の制作をしていました。


作品について

 銭湯の背景画の持つ、同じ場所から決して観ることのできない理想の風景。日本の観光地を組み合わせて創られる銭湯の世界は、ユートピアを求め図像を幾重にも重ね生まれます。その手法はシュルレアリスムの手法の一つであるデペイズマンの考えと似ています。
 銭湯の絵が初めて描かれたのは1914年なので、アドレアブルトンが提唱した「シュルレアリスム宣言」の十年前にすでに日本ではこの手法が使われていました。
 私は銭湯の背景画の手法を用い、イメージを本来の文脈から抜き出し、他のイメージと融合させる事を重要とし制作をしています。組み合わされ曖昧になった世界、現実の中に潜む恐怖や残酷さ、それと共に在るユーモアやおかしさなど相反するものを根本的肯定的にアンビバレンツな光景として創り上げています。





宮崎勇次郎  Miyazaki yujiro

1977年 大分県生まれ
2001年 東京造形大学造形学部美術学科美術専攻I類卒業

個展
2002 下郡温泉(大分) ギャラリーES (東京)
2003 ギャラリーES (東京)
2005 トーキョーワンダーサイト(東京) 現代HIGHITS GALLERY Den(東京)
2006 Cafe JORDI(東京)
2007 ギャラリーES (東京)  galleyユイット(東京)
2008 シンジュク アート インフィニティ(東京)
   ANA Meets ARTS 羽田空港(東京)
   現代HIGHITS Gallery Den .ST(東京)
2010 ZAPギャラリー(東京)
2011 ミヅマアクション(東京)
2013 スイッチポイント(東京)
2014 ギャラリーヒラミネ(鹿児島)
   現代HIGHITS GALLERY Den(東京)
2015 ギャラリーヒラミネ(東京)
   Light West Temple(大分)

グループ展
2001 Primal Scream展 相模原市民ギャラリー(神奈川)
2003 富士山展 ギャラリーES(東京)
2005 「トーキョーワンダーウォール公募2005」東京都現代美術館(東京)
   「ARTIST-FALGS Festival」(セルビアモンテネグロ)
2006 眼差しと好奇心 ミズマアクション(東京)
   「Itazu Litho-Grafik展」 The DELL gallery(オーストラリア)
   「Itazu Litho-Grafik展」 Galerija SKC(セルビアモンテネグロ)
2007 VOCA 2007 上野の森美術館(東京)
   「ASIAN ART NOW」 Soka Contemporary Space(台湾)
2009 天欲|INSTINCT Mizuma & One Gallery(北京)
   「リトグラフって何だ」展  調布市文化会館(東京)
   neoneo展 part1「男子」ネオネオボーイズは草食系? 高橋コレクション日比谷(東京)
2011 ジャラパゴス展 三菱地所アルティアム(福岡)
   七問ー現代日本の若手アーティストたち Mizuma&One Gallery(北京)
2012 七問 -現代日本の若手アーティストたち 上海華氏画廊(上海)
2013 「Look East! -Japanese Contemporary Art」ギルマンバラックス(シンガポール)
   「第16回 岡本太郎現代芸術賞」展(神奈川)「ワンダフル・マイ・アート」(山梨)
2015 アートで見る南総里見八犬伝展(千葉)
   おおいたトイレンナーレ(大分)

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