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登尾紘子 36期 美術学科 彫刻専攻
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 自家焙煎のコーヒー豆屋を始めて、今年で10年目になります。
 よくここまで続いたなあ、奇跡だなあ、よっぽどみんなが助けてくれたおかげだなあ、心底そう思います。
 大学を卒業して地元に戻り、デザインの仕事などをして暮らしを立てていましたが、何か釈然としない日々。
 常に危機感や葛藤を抱くに至る、ある強い言葉を鮮明に覚えていました。
 故佐藤忠良先生が、彫刻科の学生に向けて講義の際にふと放った一言。
「大学を出て5年間。どう生きるかで、その人の人生は決まってしまう。」



 このままではいけない。たのしい人生にしよう。10代から引きずっていた青い葛藤を、社会人になってもなお引きずり続け、真剣に渇望していました。
 当時母が親戚から家守りを頼まれた空家があり、そこで自分が持てる技をすべて発揮して、コーヒー豆屋をはじめる事を突如思い立ちました。焙煎機の中で最も小さな1kg焙煎機を手に入れ、トレードマークの猫をデザインし、資金も乏しい中、改装などもなるべく自分の手で創意工夫して何とか店舗らしき形態に近づけていきました。店づくりも作品制作の延長のようで、どこまでも深く潜り込むような面白さを感じました。
「コーヒー豆屋を始めたのは、コーヒーが好きだったからですか?」とお客さんをはじめ色々な方からよく聞かれるのですが、コーヒー豆を煎る、焙煎という工程が好きで、焙煎をしたいが為に、コーヒー豆屋をはじめたのだと思います。


 学生時代、書店で何気なく立ち読みしていた雑誌に手網焙煎の紹介記事を目にしたのが、コーヒー焙煎を知るきっかけでした。コーヒーをおいしいと感じて飲むようになったのもその頃です。当時、彫刻棟のアトリエが夜になって施錠した後は、皆屋外のアーケード下に作品を持ち出し、ストーブを囲んで制作を続けていたのですが、夜が深まるごとに大変冷えるので、温かいコーヒーは制作時の必需品でした。仲間内でコーヒー豆を持ち寄って飲んでいるうちに、だんだん皆の志向が高まりコーヒー同好会なるものが結成されました。ミルで挽きたての豆をドリップするのはもちろん、休日に都内のギャラリーや美術館に出かけた際は、かかさず自家焙煎コーヒーの有名店にも立ち寄るのが定例となりました。
 そんな折、手網みと呼ばれる銀杏煎りと家庭用コンロでコーヒー豆を自分で煎る事が出来るという事に私は衝撃を受け、早速下宿の近所の自家焙煎コーヒー店で生豆を分けてもらい、アトリエで豆をせっせと煎ってはメンバーに振舞っていました。それがいつしか趣味を超えた習慣のようになっていきました。


 いざ店を構えたものの、路地裏の民家で手作り感満載の店舗にお客さんはなかなか来てくれず、存在にも気付いてくれず、最初の3年間は全く売上がありませんでした。アルバイトで赤字を補填する生活をそうして3年続けた頃、どこかで線引きをしないといけないと感じました。もし、1週間誰も店に来なければ、もう店はすっぱり諦めよう。
 真夏の暑い盛りでした。本当に6日間、誰も訪れず、とうとう7日目。もうだめかと思った矢先に母の友人のOさんが現れ颯爽とアイスラテを飲んで去って行きました。それ以来不思議とお客さんが途切れることはなく、店はまわっていくようになりました。私はOさんに会う度、心の中で手を合わせています。


 店が5年目を迎えた頃、水出しコーヒーやショウガトウのパッケージを、ギフトでも使えるようなしっかりしたものに改良しました。その頃から卸の引き合いが増え、店の形態をじょじょに製造業に特化していきました。そして3年前、現在の朝日町の店舗に移転しました。焙煎機も大きくなり今は支えてくれる心強いスタッフにも恵まれています。
 商売というものは、寄せては返す波のように規則正しいように見えて、荒れる時も穏やかな時もあります。でもその波のひとつひとつが着実に推進する力なのだろうと思っています。仕事を通して幸福を追求しているような毎日です。





登尾 紘子(のぼりお ひろこ)
1980年生まれ。
2005年東京造形大学(彫刻専攻)卒業
2006年プシプシーナ珈琲開業(香川県高松市上之町)
2013年高松市朝日町に店舗移転
2015年神奈川県茅ヶ崎市にショウガトウの製造所を開業
現在に至る。

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