私が中国に留学する事に成ったきっかけは、日本で在籍中の大学院の教授の勧めで、自分では予想もしていなかった事でした。
初めて中国に到着したのは2012年の9月、領土問題による反日フィーバーのまっ最中で、日本での報道から受ける印象ほどの危険は感じないものの、外では反日ポスターが貼られ、大学内ではデザイン科の学生デザインのオシャレな反日Tシャツが売られ、大学の裏では反日デモが行われていました。
片言の中国語しか話せず、見知らぬ人から「何人だ?」と聞かれる事は恐怖でした。日本では報道が過激さを増し、日中戦争が起きるか起きないかといった議論までなされていました。そして今ここでは語学、歴史、政治をきちんと把握しなければ安全な生活はままならない状態なんだと実感しました。
今まで当たり前の安全の上で生活し、もやもや一人で空想した事から制作していた私には、社会の現実を把握しないと自分の身が危険であるという切迫感は初めてでした。高校時代に歴史や政治の授業中寝ぼけていた事を多いに反省しました。現実とは社会と人々と関わるという、生活そのものの事です。無関係で居る事はできません。
制作においても、今まで個人的な思いに偏りすぎて、いかに狭い範囲の事柄しか見えていなかったか思い知りました。自分がアーティストとして扱ってきた個人的な思いよりも何倍も意味のある現実が、部屋の窓を開けるだけで外の世界には存在していたのです。
私は混乱し、今までの自分の制作に発言力の無さを感じました。すぐに次の制作に取りかかれませんでした。
はじめの一年は毎日語学の授業を受けました。形にはならないものの、取材やインタビューをしたり、過去の作品を展示してみて反応を伺ったり、中国人の友達を作ったり、東南アジアの少数民族を尋ねる旅をしたりしました。
その中でもとても良かったのが、中国美術学院は世界中から留学生が多く集まって居る事です。東南アジア、ラテンアメリカ、アフリカ諸国、そして今まで聞いた事の無いような国出身の人達と同じ寮で生活を共にし、日本ではあまり現実味の無いような薬物や貧困、迫害などの海外の大きな社会問題の話など驚くような話を沢山聞きました。
しかし彼等との生活の中で一番私を驚かせたのが、食べ物や社会は違えど、私たち世代の若者は実はさほど変わらないという事でした。同じような倫理観を持ち、同じアニメを見て育ち、同じ音楽を聴き、友達に成る事も難しくありませんでした。
バタバタと刺激が続いた去年でしたが、今年度からは少しづつ落ち着いて制作ができるようになり、ここでの生活から発想を受けた事柄から映像作品とドローイングを制作しています。画像は「Para mi, los chinos y los japoneses son casiiguales (私にとって、中国人と日本人は殆ど同じです)」というタイトルの作品で、コロンビア人が日本人と中国人に愛のダンスを教えるプロジェクトの映像です。
日中から遠く離れた人の視点から日本人と中国人を見てみるというテーマで制作しました。
他にも「will she be a good bride? Will someone else's mother be like areal mother to you?(彼女は良い花嫁にになるか?誰かの母親があなたの本当の母親のようになるか?」というタイトルの、ブルガリアムスリムの花嫁の儀式から着想を得た映像や、「given flag」という、ここではどこに行ってもまず日本人であることを投影されるという私の外国人としての経験の違和感をテーマにした映像などを制作しました。